背水の晃樹~再びあの場所へ~

水野晃樹
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今更、この選手を説明する必要はないだろう。
しかし、彼がどんな思いをもってヴァンフォーレ甲府に加入することになったのかは
サポーターとして一緒に共有したい。


【経歴】
高校時代は目立った結果を残せていないがサッカーファンならだれもが知っているであろう
静岡でも名門中の名門”清水商業”の出身。
昨年、庵原高等学校と統合し、閉校になったとのニュースも記憶に新しい。
卒業後ジェフユナイテッド千葉に加入し、高卒ルーキーながら1年目は7試合出場し、1得点決めている。
その年、U-20代表に選ばれ、翌年にはワールドユース(現U-20W杯)にも出場。

チームは決勝トーナメント1回戦で敗れたが
オランダ戦では平山の得点をアシスト、ベナン戦では直接FKを叩き込むなど
個人では一番目立った活躍をしていた。
(ちなみにこの時のメンバーには、現A代表の中心である本田もいる)

2006年にはナビスコカップのMVP獲得
2007年はチームが低迷するも29試合で9得点8アシストという活躍を残す。
同年3月には21歳でA代表に選出、アジアカップにも出場。
(このときU-22からの飛び級は水野と伊野波のみ。)


とにかく若手有望株の筆頭で当時の評価おそらくは現代表の中心である本田よりも高かっただろう。


転機になったのは2008年1月のセルティック移籍。
北京オリンピックを目前に控えたタイミングでの移籍は相当なリスクを抱えての決断だっただろう。
自身ははやれるという気持ちで移籍しただろうが思いは裏腹に出場機会は全く与えられなかった。
最終予選までは中心選手としてプレーしたU-23でも北京オリンピックのメンバーから漏れ
段々と水野晃樹という名前はサッカーファンの記憶から消えていく。

海外で活躍する本田や長友、香川らが北京オリンピックでの敗戦を機に大きく成長したことを考えると
もし、水野が北京オリンピックに出ていたなら・・・・という考えを今になって巡らせられずにはいられない。

結局、2年半のセルティックでは12試合しか出場機会が恵まれなかった。

2010年、南アフリカW杯が開催されている中、当時J2だった柏レイソルに移籍。
しかしながら、復帰直後の千葉線で前十時靭帯の損傷という全治6か月の大けがを負っいてしまう。
怪我から復帰した2011、2012年ははレアンドロ・ドミンゲスという高い壁が立ちはだかり
満足した出場機会を得られなかった。

今オフに初の0円提示を受け、甲府に入団することと相成った。


【甲府⇒代表】

いくつかのオファーがある中、なぜ甲府を選んだのか?

「甲府に決めた理由は、城福監督をはじめとするスタッフや山梨県全体のサッカーに対する姿勢が熱いことが
1番の決め手となりました」公式サイトのコメントより

「話の場には監督に来ていただき、チームの方針や方向性などいろんな話をしていただきその場でこの人の元で
やりたいと思いこの移籍が実現しました」公式ブログより

理由はいくつかあるだろうがコメントから察するに
城福監督がよくおっしゃる”リバウンドメンテリティ”に共感してくれたということだろうか?

さらにこんな記事も見つけた。

甲府水野2カ年復帰計画「もう1度輝く」


この記事で気になる点は2つ
・複数年契約を交わしたと推測されることと
・柏時代に制限されたドリブル

セルティックでの2年半、柏での3年間・・・・
長い間、貯め続けた不満、怒り、試合に出たいという思い・・・・・

もうため込む必要はないだろう。

その思いを解放するのにここ(甲府)では何も障害はない。

多少、遠回りしたかもしれないがまだまだ遅くはない。

甲府でのプレーは背水の陣かもしれないがもう後ろを心配する必要はない。

再び、日の丸を背負うべく、その準備は甲府の地から始まる。



※久しぶりに真面目に書いたw 真面目に書くって意外と難しい><
つたない文章ですがよろしければ
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